教念寺由緒

専復専山教念寺の開基について、『元亀元年(1570)当時、教念寺初代とされる森常陸介胤顕は、その父、興三兵衛とともに浄土真宗に深く帰依していた。その頃、浄土真宗のご本山大阪石山本願寺では、第十一世顕如上人が織田信長の石山本願寺攻めにあい未曾有の法難にあった。
常陸介はこれを大変悲しみ、自ら勇士軍を率いて、軍将鈴木重幸の配下に入り石山本願寺にて籠城防衛した。その後、正親町天皇の勅命によって本願寺と信長が和睦。その時、顕如上人から大友義統へ、常陸介が石山で大変よくつとめてくれたことを知らせる書付が届き、義統はその褒賞として感状を下し、豊前国上毛郡払井を加増した。』と伝えられている。
この時、顕如上人より累代「明」の一字を賜り、常陸介は、釋明願と称し、小田邑彦園に一寺を建立。これを専復専山教念寺の開基としている。

その後

慶長十四年 (1609)
第四世明西の時、日田藩主石川主殿頭忠総より本願寺の東西分派に際し、石川領内の西派を禁じ東派への転派を強要されたがこれに随わず、森藩主久留島通春の許しを得て、古後郷長小野に寺基を移転。

元和七年(1621)
久留島通春の命により、大隈邑中島に移る。

寛文元年(1661)
大隈邑祇園の現在地に寺基を移し、翌年本堂を上棟。

寛文十年(1670)
山門・鐘楼堂を建立。これが第六世明吟の時とされる。

貞享四年(1687)
寂如上人より木仏阿弥陀如来立像(康雲作)を賜る。

正徳六年(1716)
日田郡津江庄大野村に支坊を建立。

宝暦十年(1760)
本堂を再建。これが現在の本堂である。

以来、数々の風雪害にあい修復を重ねながら現在の伽藍に至る。

DSC_7314

PAGE TOP